わたしたちの「朝」を届けようプロジェクト は、現在準備中です。

このプロジェクトが生まれたわけ

このプロジェクトが生まれたわけは、
当プロジェクト代表の経験にあります。

当プロジェクト代表の竹内は
現在高3の起立性調節障害当事者です。
高1の夏に起立性調節障害を発症しました。

ずっと憧れていた高校への入学できたと思ったら、起立性調節障害を発症。
学校に通えなくなりました。


やっと目標を達成できてこれからだったのに。
この学校で学びたい気持ちは誰にも負けないのに。
これからどうすればいいの‥。
もう生きている意味もないのかもしれない‥。

ショックで、悔しくて、悲しくて
毎日のように泣きました。


「朝起きられないなら早く寝ればいい。」
「気合を入れれば起きられる。」

家族は理解を示してくれましたが、
時折出る軽い気持ちで言ったのであろう言葉は
私の胸を深く刺しました。


誰にも分かってもらえない。
苦しい。
ひとりぼっちみたいだ。

当時の私はとにかく誰かに分かって欲しくて
誰かに「大丈夫だよ」と言って欲しかったです。


そんな私を少しだけ救ってくれたのがSNSでした。
そこには、起立性調節障害を持つ子や
その親がたくさんいました。
私を分かってくれる人がいたのです。


朝起きられない辛さも。
あの身体のだるさも。頭の重さも。
周りに理解してもらえない悔しさも。
誰かに分かってもらいたいという願いも。


程度は違うだろうし、その人の思いはその人にしか分からないけど、みんな似ていました。
ここが居場所だと思いました。



さて、学校に行けなくなって少し経つと、
留年の危機が迫ります。

留年をして、この高校に残るか。
辞めて、通信制の高校に転入するか。
私は、通信制高校への転入を決めました。
そして、現在在籍している通信制高校へ
転入してきたのです。
通信制高校に転入した頃から、
少しずつ症状が改善していきました。



無事に3年生になった私。
症状も少し落ち着き、
メンタルも安定したことから、
自分のことや今を生きることで必死だった私は、
少しずつ周りを見ることが
できるようになりました。


高校生活最後の1年。
何かしたい。何かしないと終われない。
この2年ほど、たくさん休みインプットした私は
アウトプットを求めていました。

その「何か」に選んだのは、
自らが発症した起立性調節障害の認知度・理解度を高める活動でした。


ずっと起立性調節障害啓発に関わることが
したいと思っていました。

SNSに流れてくる、
周りの人の無知無理解に苦しむ声
起立性調節障害をもっと知って欲しいという叫び
そんな声を見て、
何かしないといけないと思いました。

動かないと何も始まらない。
できることは小さなことかもしれないけど、
それでも世界の小さな一欠片は変えられる

当事者だからできることがある。
私だからこそできることがある。
やるしかない


そう思い、リーフレットを作成・配布すること
思いつきました。

思いついたことを私は必死でメモしました。

・多くの人に病気のことを知ってもらう。
・正しく理解してもらう。
・無知や無理解で苦しむ子たちを少しでも減らしたい。
・知っていることで早く対応でき、少しでも症状が軽くなるかもしれない。
・わたしたちの「朝」を知ってもらう→
わたしたちの「朝」を届けようプロジェクト



こうして、
わたしたちの「朝」を届けようプロジェクトは
生まれたのです。


わたしたちの「朝」の現実を届ける。
起立性調節障害を1人でも多くの人に
正しく知ってもらう。
そして、
周りの人の無知無理解に苦しむ人を
1人でも多く減らす。

これがこのプロジェクトの目標、私の目標です。